Yanasegawa Column

感受性高めなウェブディレクターが、D2Cの流れから、編集についてやウェブとアナログについて感じたことをダラダラ書く。

昨日ラジオを聴いていて、
まさに自分が最近考えていたことと同じようなことを
堀潤さんが言っていて「ほぁー」って思ったので、なんか思ったことを書きたいと思う。

家への帰り道、車から流れるラジオで
ちょうど新しい消費のあり方「DtoC」とは何か?っていうテーマで
グローバーさんと堀潤さんがお話しされていたのを聞いて、ほぉーって思った。

ポイントとしては、

ウェブってどうあるべきなのかなーって日頃思ってたことに対して、
ニュースメディアもそうなんだなーって思ったところとか、

結局アナログっていうかリアルに落ちてくのかーってところも、
僕がウェブも結局最終的にはリアルに落とすのが
次目指すべきところだって思ってたので、そこも一緒だなって思ったこと。
とか、

メディアの編集と、ウェブの編集について考えさせられたこと。かなと。

そのやりとりをまずはご紹介。

グローバー 「堀さん、こういう少し前を振り返りながら未来を予測する、っていうのは常々人間やるんですけど、堀さんもその、ニュースメディアとしてB2C…」

掘「D2C。」

グローバー「…D2Cか。カスタマー直接やろうっていうことで始めたわけじゃないですか。」

掘「いやあのー、
ジャムザワールドはまさにD2CというかD2Uだと思うんですよ?

あのー、こうやってTwitter、ハッシュタグを使って
繋がってるじゃないですか。

で、今リアルタイムで皆さんのTwitter
読んでるんですけども、

『あ、そうか今視聴者の皆さん
これに対しては疑問を抱いてるんだ…』とか、
スタジオサイドには、
『もっとこれについて話してほしいよ』
って言っているんだ、で、
それをこうリアルタイムに頂きながら、

『あれ?今みなさんこんなこと
疑問に思ってるようですけど、どうですか?』

なんていう風に、
ゲストの皆さんとの話の筋を
修正したりとか、違う方向に展開したりとか。

で、今までのメディアの在り方って、
本当に一番大事な聞き手
もしくはまぁ、見る人、
その受け手側のことを置き去りにして
一方通行に、

『私たちが作ったものは
最終製品として素晴らしいんだから、
まあ買って?しかも文句言わないで?』
みたいな、そういうアプローチだったんだと
思うんですよね。

だから最近こうしてSNSなどを通じて
視聴者の皆さん、リスナーのみなさんと
こうした、こう発信者側がダイレクトに
やり取りできるようになったことによって、

僕はそのニュースっていう分野も、
より民主的になってきたんだなと。」

J-wave Jam the Worldより(2020/03/05)

グローバー「堀さんにちょっと聞きたいなと思ってたのは、あのメディアの話の、大きなメディアってたぶんちょっとこう未来予測が外れてきてちょっと大変みたいなことが起きてるように見えるんですけど、堀さんの場合は結構前からその、じゃあ8bitニュースだったり、自分で未来を予測しながらこうなったらいいな、とかこうしようっていう風なのをはじめてきて、堀さんの側から見てると、ちょっと思ってたのと変わってきたな、とか、こうちょっとこの先また、

自分の中で予測が変わったな、とか
そういう未来の見立てが変化した部分って
どんな部分ですかですか?」

堀「2つあります。一つはやはり
大きな企業体のメディアであればあるほど、
やはりその決裁に時間がかかる、

いわゆるスタンプラリーと言われるような、
『デスクおっけー、じゃあ副部長おっけー、
部長おっけー、編集長おっけー、
じゃあ理事は? って
みたいなね。

こういうこう流れの中で、
どんどん速度が鈍っていって、
情報も丸くなっちゃうのを、
どう現場としてかいくぐるのかっていうことに
凄く労力を割いてきたんですけど、

最近になって、やっぱりメディアも
変わらなきゃいけないよね、
だから現場の記者がTwitterを運用するようになって、
大きなマスメディアなんだけれども、
割とこう現場に裁量が下りてきたかなっていうのが
すごくいい兆しだと思うんです。

これは僕ら今まで従来主張してきたことで、
僕がNHK職員時代の時にやったことです、
でも2010年代前半の話です。

あれからまあ約10年近く経って、
僕が今やりたいのは、まさにさっき言った
寿司屋のカウンターと一緒なんですよ。
ダイレクトにニュースをあなたに伝えますって、
面と向かってリアルにやりたい。

それはそうしたこう、放送を通じて
Twitterのアイコンを通じて、
<なんとかさん>と
<なんとかさん>と繋がった先には今度は、

どんどんどんどんリアルな現場に取材者たちが
出向いて行って、リアルイベント、
ちょっと今コロナの影響でね、できないですけれど、
リアルイベントであったりとか
リアルな現場で、どこにだって出向きますよと。

直接ね、ゆっくり話しながらニュースについて
考えましょうよっていう。

だからね、今は放送局の役割って電波を出して
こうやって番組をやることだって思いますけど、
これから電波をやるのはもちろんです。
でも、主体となるのは場です。場づくりです。」

J-wave Jam the Worldより(2020/03/05)

グローバー「それメディアの話、さっきの物売ってる話に引き付けると、

改めて町の個人商店とかに
また時代は戻ってくるんですか?」

掘「と思いますよ。

だから、それはまさに先ほど
望月さんがおっしゃったように、

今までは編集権ですとかいって
ブラックボックスだった、もしくはその

時間とか文字数の制約によって
記者は知ってる、
ディレクターは知ってるけど、
世の中には出してないっていう情報
みたいなものを、どんどん出していく。

それを持って次の取材に繋げていく、
次の知の扉を開くことに繋げていくっていう、

まさに透明性、そうしたことが
これからのニュースメディアにも
求められることだと思うので…(後略)」

J-wave Jam the Worldより(2020/03/05)

日本人って(って多国の人との比較論では必ずしもないからあまり言いたくないんだけども)、
スマホが普及してから取り入れる情報量が圧倒的に増えて、
周りも情報であふれて、その中から毎日取捨選択をせわしなくするから、
「で!?」「つまり!?」「要点は!?」
って、年々なっていってるし、
社会人になるとそういう場面が忙しい時ほどどんどん増えて当たり前になっていくんだけれども、
これってつまり、編集された情報を求めてるってことだよね。

でも、それでいてライブ感とか、本当はどう思ってるの?みたいなものを
求めてる節がある。
つまり、編集されていないデータってことなんだけど、
うーん…それって矛盾してるよね、とか思う。

今までは情報伝達の時間や労力が大きかったから、
限られた時間や環境のなかでできるだけホットで核心に近い情報を伝えるべく、
編集って大事だったわけだけども、
どんどんテクノロジーの便利さが
情報発信のタイムラグをなくしていっていて、
すると発信頻度が高まっていって、
それってどんどん垂れ流しに近づいていって、
結局はシームレスだったりライブ感が一番リアルで
求めてるものだよね、ってことになる。

「チチキトク、スグカエレ」の時代から、
今はインスタやYoutubeなどでライブ配信してて、
情報が1対多だったり、多対多で活発に相互発信。受信なされるようになる。

webの利点の一つって、そういうインタラクティブな相互のやりとりが
場所を問わずにできることだったりするけれど、
そこにリアルがないっていうのは嫌だという意見を聞いたことがある。

僕はウェブって、
場所関係なくどこでもできる、受け取れるツールって一つの側面を捉えてるんだけども、
場所が関係あるツールにはなれてないと思ってる。
場所って属性をそぎ落としてるだけで、まだ代替できてないと。

だから、場所に関係するリアルに落ちるべきっていうか、
ウェブの次に目指すところのひとつって、
場所っていう属性ともいかに溶け込めるかっていうところなんじゃないかと思っている。

「ウェブって便利っていっても、結局はリアル、アナログだよね!」
ってのはちょっとイラっと来るんだけど、でもプロセスは違えど
着地点、通過点としては一理あるのかな、と思っています。

オムニチャネルって結局デジタルとリアルのハイブリッドで、
得られる体験をそれに近づけてる行為だと思うし、
少なくとも、デジタルはどんどんアナログすり寄ってるし、近づこうとしてる。
アナログの再現、アナログを超えた利便の実現を目指すものっていうことには違いない。

そして、ウェブ制作の仕事をしている自分ってことでいれば、
例えばこのサイトもそうだけど、ウェブメディアとかウェブサイトって、
結局読み手の離脱とかを避けたいから読みやすくかい摘まんで、情報をまさに
「編集」した文章や画像、動画などのメディアを載せた集合体をもって
「どや!?」ってものであるんだけども、
Webにリアルを感じないのは、肌感で感じられる感覚の欠落以外に、
リアルじゃないってとこなんじゃないかなと。
要するに編集されきっちゃってんじゃん、ってことなんだと思う。
編集の害の一つって、受け手の感性で解釈する前に誰かの解釈が入ってしまっていて、
もはや飲み込むか否かを強要されるとこなんだけども、
ウェブメディアってめちゃくちゃそれ強いよなと思った。

ウェブメディアやサイト、ブログのリアルを言えば、
現状、露出を狙うにはSEOという概念は避けられないわけで、
検索エンジンから気に入られるような構成だったり、
情報のアピール、本当は無くてもいいような情報を足さざるを得ないケースが多い。
そもそものトピックも、どんなキーワードが検索されているか、
その推定値が市場になるので、書きたくなくてもそのキーワードに
そもそも寄せざるを得ない前提がある場合が多々ある。
(だから僕は書きたくなくなっちゃうんだな、と納得。)

そういった意味では、ウェブメディアって
時間をかけて編集、編集が重ねられて出来上がるし、
時としてマネタイズのために生の文章が崩壊してでも
体裁が求められる場面が多く、
動画メディアよりも編集が過剰にかかってることもあるんじゃないかと思った。

編集も必要なんだけど、
言ってしまえば改行一つで恣意的に印象操作もできてしまうんだよね。

でも読むスピードは頭から尻まで話を聞くよりも
効率よく短時間で情報を入れれるし、
それを促進するためには、読みやすさとのバランスは取りたいよね
ってところなんだけども。

こうやってウェブメディアで書いているような、
感じたこと、考えたこと、みたいなものをデジタルを超えて、
アナログに落とすっていうところで、じゃあどこに落とそうかっていうのを、
「柳瀬川」ってところに落としてみようよ、っていうのを
ローカルの共感者たちでの共通認識にしてみようよっていう呼びかけが
この柳瀬川ベースっていう概念なのかな、と思った。

ウェブ業界で働きながら、
ブログってなんか書く前に詰まっちゃって
結局何も形にできないんだよなー、っていう無力感を
長らく何年も感じ続けてきたんだけど、
結局昨今の時代の流れの向きが<シームレス>とか<ライブ感>なんだって思ったら、
編集なんかしないでもダラダラでも思ってること書いたっていいじゃん、って思って、
気が楽になったのでこんなコラム書いてみた、っていうのがこの記事なわけです。

こと、このサイトってF●CK Google!ってコンテンツの方がいいよなー、ってところもあるしね。

以上!

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